ノラ猫ism

今日もノラ猫のように、凛々しくハングリーに、生きる

常磐線の終着駅にて

      2015/12/23

130317

3.11震災以前、福島県の浜通りに位置する広野町は、「東北に春を告げる街」といわれる人口約5,500人の街でした。今は約600人が帰還し、約5,000人が除染作業のためにやって来て仮設住居で生活しています。

住んでいる人の数はあの頃と変わらない。でも、子どもの声を聞くことはできなくなった。団らんの明かりが消えた町の夜は真っ暗な闇に包まれるんだ。

帰還している方は実感を込めて語ります。

放射能の身体への影響がどうなのか?
東電の損害賠償はどうなるのか?

「知らない人が損をする」という世の中の一面を変えることはできないのかもしれません。国とか行政は、間違えた情報を伝えることを怖れるあまり、必要なことを分かりやすく伝えるという当たり前のことができず、もっと根本的な間違いを犯すのかもしれません。

先日、ネット記事で、ご自身も余命5ヶ月と宣告されながらも、南相馬市で最後まで医療活動に従事された高橋亨平先生の記事を見ました。

その中で、亨平先生の1つの言葉が心に残りました。

「震災前の幸せに戻りたいというモノサシのままで不幸になるなら、幸せの測り方を変えるべきだ」

“復興”の意味をもう1度考えさせてくれる言葉です。

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【参考記事】
余命5カ月で孤軍奮闘した南相馬”カリスマ産婦人科医”

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