みたんの3/11
2015/12/25
あの日から2ヶ月が経ちました。
ぽぽぽぽーん
あれだけ頭から離れなかったCMのメロディが、記憶から消えようとしています。
同時に東日本を襲った観測史上最大の大地震のことも、当事者ではない人たちの中では少しずつ過去の事件になりつつあるのかもしれません。
GW以降、被災地にボランティアに行く人も減り、被災地では頭を抱えているといいます。
歴史の教科書の中の出来事にしてしまうには早すぎるので、あの日、僕と嫁とミーちゃんがどうしていたか、、、忘れないために記録を残しておこうと思います。
-03/11/07:30
3月11日は、ミーちゃんが我が家に来てちょうど1ヶ月記念日でした。もうすっかり慣れていたのに、その日は朝から様子がおかしかったです。何かにおびえるかのように態勢を低くして廊下を走ったり、すがるような目で僕らを見たりしていました嫁と「地震でも来るのかな?」と冗談半分で話していたのを覚えています。ミーちゃんはその日これから起こることを知っていたのかもしれません…。
-03/11/14:46
東日本大震災発生!!
そのとき、僕は千葉市内の職場、嫁は出張で福岡、ミーちゃんは1人で家にいました。嫁は被災していないことが分かっていたので、とにかくミーちゃんのことが心配でした。昼間ミーちゃんがいるリビングに大きな家具はないのですが、テレビが倒れて怪我していたら……とか、悪い不安ばかりが脳裏をよぎります。
-03/11/16:41
嫁から「新幹線も飛行機もダメで帰れないみたい」とメールが入る。そのころ、僕は職場でテレビを付けて初めて、事態の深刻さを知りました。津波が街を流す衝撃的な映像に、同僚もみんな声を失っていました。被災地に実家や親戚の家がある人は、何度も何度も電話を掛けましたが繋がらない状況でした。
その後、自宅に帰れる人は帰っても良いという業務命令があり、4時間~5時間かけて歩いて帰る人もいました。僕は歩いて帰れる距離ではなかったので、しばらく電車が動くのを待って様子を見ることにしました。
-03/11/19:00
嫁から「ためしに空港に行ったら、飛行機のキャンセル待ちのチケットが取れたから東京に戻れる」と連絡あり。どちらが安全なのかも羽田空港の状況も分からない中で、嫁は東京に戻ってくることを決めました。そこには、家で1人で待っているミーちゃんの姿がありました。
-03/11/23:51
嫁から「羽田空港に着いたけど、京急もモノレールも今日は復旧しないから、家には帰れそうにない」とメールが来る。そのころ僕も、JRが終日電車を動かさないことを決めたという発表を知り、職場で夜を明かす覚悟を決めました。それにより、ミーちゃんも1人で夜を明かすことが決まりました。
緊急地震速報の不気味な着信音。
ミシミシという壁が軋む音。
数分置きに来る余震。
新潟と長野でも震度6強の地震発生。
それぞれが眠れぬ夜を過ごしました。
-03/12/06:30
嫁から「電車が動き始めたから帰れる」とメール。
そして、、、
-03/12/07:35
一番嬉しいメールでした。
そのときのミーちゃんは…
不安そうな疲れた表情が、ミーちゃんにとっても長い夜だったことを物語っています。
-03/12/09:55
僕、家到着。
テレビでは時間を追うごとに甚大な被害が明らかになり、ホッとする間もなく福島第一原発の事故が報道されました。
そんな中、僕は予約していた歯医者に行きました。
大震災の夜は病院に泊まったという先生が、いつものように頼りがいのある治療をしてくれたことが、なんだか妙に心強く感じました。
そのころ、家では、、、
-03/12/17:28
嫁から、緊張してエサも喉を通らなかったミーちゃんが、おやつのドライフードを食べてくれたとのメール。
そのときのミーちゃん。
猫はもともと砂漠で生活していた動物なので、ジーっと動かずにいることでエネルギーの消費を抑えて、何日も生きることができるそうです。
その日から2ヶ月。
被災地ではライフラインは復旧し、
「生きるため」の初期支援から生活再建への中期支援へと移行し始めています。
でも、原発事故の問題は解決の見通しが立たず、最大余震がいつ来るか分からないという不安も消えません。被災地の方の悲しみは想像もつきません。
まだ大震災は終わっていない。
容赦ない現実があります。その中で、それがたとえ「被災地支援」という言葉とは直接繋がっていなくても、自分に出来ることをやることの大切さを日々実感しています。
人と人との繋がり、社会と社会との繋がり…
それは、どこで生まれるか分かりません。だから、想いと想いを繋げておくことが大切なのだと思います。僕と嫁は、ミーちゃんを想う気持ちが繋がったから、あの日、連絡がほとんど取れなくても、お互いに何をしているかなんとなく分かりました。
被災地の復興、経済の復興、家族の復興、地域の復興、抱えている問題や解決しなければならない課題はいっぱいあります。
そこに関わるみんなが同じ想いを持つことができれば、きっとうまくいく。そんな気がします。